記念講演会要旨
私を突き動かすもの
私は、とても個人的な、多くの小さな経験と出来事に満ちた私の人生についてお話したいと思います。私は1940年ゾーリンゲンに生まれました。子供時代は戦争という運命に定められた時代でした。空爆、防空壕への避難、あらゆる生き残りのための戦いの時代でした。
私の両親は小さなホテルとレストランを経営していました。近くの劇場の歌手が数名、お客にいて、私の器用な体の動きや、楽しそうに動きまわる様子を見ていた彼らは、ある日、私を児童バレエ団に連れていったのです。そのとき私はすぐに感じました。「私はこれがしたい、これこそ私の表現の仕方、私の言葉だわ。私はダンサーになりたい」と。
14歳のとき私はダンスの勉強のため、エッセンに行き、フォルクヴァンク・シューレに入学しました。ここの特徴で、大変素晴らしかったことは、一つ屋根の下に表現芸術(パフォーミング・アーツ)と美術(ファイン・アーツ)の両方が教えられていたことです。つまり、音楽、オペラ、演劇、ダンスが、絵画、彫刻、写真、デザインなどと一緒に教えられていました。ですから、他から何かを学び、経験し、全てがお互いに、自然に良い影響を与え合いました。そこでは多くのプロジェクト(共同作業)がなされました。この創造的な作業が私の後の仕事に大きな影響を与えたのです。また、ニューヨークでの勉学も同様に素晴らしいものでした。それはダンスの最盛期でした。多くの卓越した教師たちや振付家たちとの仕事、そして数え切れないほどの経験と出来事。全てが同時に隣り合って存在していたあの頃。それらは私にとって、とても深く、重要な印象として残っているのです。
そんなわけで、新たに創設されたフォルクヴァンク・バレエに戻るという申し出を受ける決断をすることは、私にとって大変難しいことだったのですが、私は踊り、教え、私自身の最初の振付を行い、そしてこのバレエ団の監督となりました。そこでは私は再び多くの新たな経験をし、そしてまた責任を持つことになりました。
1973年以来、私たちはヴッパタール舞踊劇団として、ヴッパタールの舞台に立っています。ここで私は私のダンサーたちと共に長い道のりを歩んできました。毎日が、うそ偽り無く、私たちと私たちをとり囲む世界についての新たな発見の旅でした。それは緊張感に溢れ、時に非常な困難と痛みに満ち、しかしながら幸せな道のりでした。40本近い作品を制作しましたが、その多くは他の国々の都市との共同制作によるものです。
人生の場面場面において、どんな時にも挑戦と危機がありました。そのことについてもお話したいと思っています。とても難しく、もう、どうにもなりそうもないと思われた状況について、また、そのような状況から、私たちの仕事にとって、新しいもの、進むべき道を示すものがどのように生まれたかについて。