3S研究者探訪 #01 梅津理恵
デバイス革命の鍵を握るハーフメタルの電子を視る
─理論と応用の間をつなぐ基礎研究の底力─

3S(スリーエス)とは、 稲盛研究助成 を受けた研究者から構成される「盛和スカラーズソサエティ(Seiwa Scholars Society)」の略称です。3Sでのつながりをきっかけにその多様な専門性の交流が深まることで、助成対象者の研究が更に発展していくことを願い、1997年から活動してきました。連載「3S研究者探訪」 では、さまざまな分野で活躍する、3Sの研究者へのインタビューをお届けしていきます。初回を飾るのは、東北大学の梅津理恵(うめつ・りえ)氏=2009年助成対象者=です。

Dr.Umetsu_portrait
 
私たちの身の回りの電化製品は、どんどん小さく高性能になってきました。このような生活を便利にしていく技術革新は、電子デバイスを構成する材料の研究に大きく支えられています。東北大学金属材料研究所の梅津理恵教授たちのグループは、次世代の材料として大きく期待されている「ハーフメタル」の電子状態を、世界で初めて直接観測することに成功しました。理論的には作成可能といわれているのに、なかなか性能が発揮されないでいる未来の技術が、実現に向けて大きく動き出したのです。そんなスピントロニクス研究の現状について、梅津氏にお話を伺いました。

小さな電子の状態が電子デバイスの性能を決める

── 最初に、スピントロニクスとは何か、教えてください。
 
梅津理恵氏(以下敬称略) 電化製品や工業製品の中に組み込まれている「電子デバイス」は、その名の通り、材料を構成する物質の原子が持つ小さな電子が機能の多くを担っています。電子は電気を帯びた粒子で、常に自転(スピン)しています。つまり電子は、電気の量(電荷)の情報と、スピンの向きの情報をもっているわけです。この電荷の情報を制御して利用するための材料が半導体、スピンの情報を利用している材料が磁性体です。
 
今までは、この2種類の性質を別々に利用してきました。もし、電荷とスピンの両方の情報を1つの物質で利用できたら、その物質で作った電子デバイスの性能は一気に跳ね上がります。このような物質を作り出す研究分野を「スピントロニクス」といいます。電子工学(電荷)と磁気工学(スピン)が合わさったネーミングです。
 

スピントロニクスの概念図

 
── 電子の電荷とスピンを制御して利用するスピントロニクス技術が確立されたら、私たちの身の回りの技術にも革新が起きるわけですね。
 
梅津 身近なところでいえば、パソコンです。今はパソコンを起動するのにそれなりに時間がかかっていますが、スピントロニクスデバイスが実用化されたら、あっという間に立ち上がり、記憶容量も格段に大きい高性能なハードディスクが作られるでしょう。また、低エネルギーでアクセスできるようになるので、省エネにもなります。医療分野では、人間の体から発せられる微弱なシグナルを拾えるくらい感度のよいデバイスができる可能性があります。詳細な脳波の変化や、胎児の様子などもわかるようになるかもしれません。
 
── そのスピントロニクスを実現させる材料として期待されているのが「ハーフメタル」ですね。変わった名前ですが、そもそも何がハーフなんでしょうか?
 
梅津 ハーフメタルは人工的に作った合金で、磁性体である金属と半導体の両方の性質をあわせもっています。電子状態の半分が金属的な要素を持っているので、ハーフメタルと呼ばれるのです。電荷情報を制御する半導体にスピン情報を注入できるため、磁性体と半導体を融合した機能が発揮できるのではないかと期待されています。

たとえば、現在私が実験しているのは、ある結晶構造をもつ「ホイスラー合金」と呼ばれる物質で、ハーフメタルの性質をもっていると考えられています。X、Y、Zの位置に特定の金属元素が入ります。
 

強磁性体とハーフメタルの違い(左)とホイスラー合金の結晶構造(右)

 
梅津 現在、この原子とこの原子をこういう組成で並べたらハーフメタルになるだろうという理論的予測がたくさん出ています。それに基づいて合金が作られ、世界中の研究者がデバイス応用に向けてがんばっていますが、あまりうまくいってないのです。理論から期待される性能を備えたハーフメタルのデバイスは、いまだ実現していません。
 
なぜうまくいかないのか、どうしたらうまくいくのかを知るためには、作られたハーフメタル候補物質が本当に有効的な電子状態を持っているかどうかを、実際に確かめる必要があると私は考えています。電子の状態でデバイスの性能が決まるからこそ、電子を直接観測する研究が重要なのです。

世界初!ハーフメタルの電子状態を直接観測できた理由

 
── 電子の状態はどうやって観察するのでしょうか?
 
梅津 まず、理論で提案されているハーフメタル物質を合成し、実験室で行える範囲で物性測定をし、候補となる物質を探していきました。ただ、それだけだとハーフメタル特有の電子状態を持っているという完全な証明にならないため、特殊な光を使って電子の状態を直接見ることにしました。用いたのは共鳴非弾性X線散乱(RIXS)という実験手法です。兵庫県にある大型放射光施設SPring-8に行って実験を行いました。
 
RIXSは簡単にいうと、X線を電子にあててエネルギーを与えて励起状態にし、その状態から緩和する過程で生じる発光を測定することで、もともとあった電子の状態を調べる方法です。この手法でハーフメタルの有力な候補として考えられていた2つのホイスラー合金を観測したところ、理論で提案されているような、電子状態をもっていることが言える結果が出て論文にしました。ちなみに、RIXSでハーフメタルの電子状態をしっかりと観測した人は、まだ誰もいません。
 
── 世界初の成果ということですね!なぜ、成し遂げられたのでしょうか。
 
梅津 そもそも電子状態を測ろうとする研究者人口が少ないのです。スピントロニクスは、世界中で活発に研究・開発が行われている分野ですが、デバイスに実装するための工学的な応用研究をやっている人や、理論計算をしている人は多いのに、間をつなぐ基礎物性を調べるような研究者はまだ足りていません。

工学的なアプローチと理学的なアプローチでは、測定の試料を作るときの発想も違います。電子デバイスへの応用に目が向いている研究者は、実装に直結する薄膜で試料を作ります。一方で私は基礎物性を知りたいので、より自然の平衡状態に近い状態で結晶化させた「バルク」と呼ばれる塊状の試料で実験をしました。そこに違いがあって、うまく測定できたのだと思います。
 

単結晶育成装置(左)、ホイスラー合金の単結晶(右上)とその結晶構造を反映したラウエパターン(右下)
ひとりでできることには限界がある!仲間を集めて突破する

 
梅津 とはいえ、成果を出せた一番の大きな理由は、たくさんの人に助けてもらったことだと思います。私の所属する東北大学金属材料研究所には、結晶の育成について知識や経験が豊富な人がたくさんいますし、SPring-8での測定や解析もひとりでは限界があるので詳しい人に助けてもらいました。この研究に着手してから15年以上経っていますが、興味をもって一緒にやってくれそうな人を見つけるのに必要な時間だったのかもしれません。
 
若い頃は人に質問するのが恥ずかしいと思っていました。そんなことも知らないのかと思われないように、もう少し自分で知識をつけてから尋ねよう……なんて考えたり。ですが、子どもを産んで育てるようになると、時間がないので、人に聞くのも恥ずかしくなくなりました。質問をぶつけてすぐ答えが返ってくるわけではありませんが、何気ない話からヒントを得たり、別の手法を提案してもらったり。
 
さらに話しているうちに、だんだん他の人にもやりたいことが伝わって、コミュニティが広がって、意外なところから助け船が出ることもありました。その意味では、自分が今何をしたいのかとか、どういうところがネックになっているのかということをはっきりと自覚して、周囲に言い続けることが大切だと思います。そうじゃないと、周りの人も助けようがないですからね。
 
── 今回の研究成果は、スピントロニクス分野にどのように貢献するのでしょうか。
 
梅津 ハーフメタルの電子状態を観測する方法を1つ確立できたので、ほかのハーフメタル候補物質についてのデータも集めることができるようになります。そうやって集めたデータを、理論研究者にフィードバックすることで、さらに高性能なハーフメタルを作るにはどういう物質がよいかということを計算できます。地味な実験の積み重ねと、理論予測。その両方が合わさって初めて、実用化への道が開けると考えています。

近いうちに東北大のキャンパスにも放射光の施設が建設されます。SPring-8ほどの大型施設ではないのですが、私が研究対象にしている物質は、東北大に建設予定の中型施設のほうが波長が合っているのです。すぐ近くで実験できるようになれば、研究も大きく進みます。2、3年後に稼働する予定ですが、それまでにさらに候補物質を作製して準備しておきたいです。

SPring-8 (BL07LSU)の超高分解能発光分光器の前で
一度は離れた物理の道に再び

 
── 理学部の物理学専攻で修士号を取られたあとに、一度研究の世界を離れていますね。
 
梅津 当時はなぜか、修士を出たら就職するものだと思っていて、就職活動をしたのです。説明会にも行ったのですが、会社で研究をするということが自分に向いていない気がして、いろいろ考えてしまいました。それで、違う道も経験してみようと思い、臨床心理学の勉強を始めました。ところが、母が病気になり仙台の実家に戻って看護と家事に専念することに。そのあとにまた、東北大学の博士課程に入りました。今度は修士までやってきたことを活かせる研究室で、今の研究につながる材料物性学を学びました。
 
── やはり物理が好きだったから戻ってこられたんでしょうか?
 
梅津 物理学を専攻して、そこで修士号まで取得したということは、やはりもともと興味があったからできたことです。この分野に関しては、最初から学ぶ人よりもアドバンテージがありますから、それを活かさないのはもったいないと思いました。自分が好きで選んでいたはずの道に戻り、研究を続けるべきだということを、そのとき改めて感じました。
 
── 博士の学位を取得したあとに、ご結婚され、研究を続けながら出産されていますね。子育てをしながら研究をするのは大変だったと思います。
 
梅津 20代は博士の学位を取るために必死で時間があっという間に過ぎました。さらにそのあと結婚して、30から35歳の間に3回出産したので、30代のときは小さな赤ちゃんが常に周りにいる感じでした。
 
子育て中は大変だったはずですが、実は、あまり覚えていないのです。とにかく夢中で駆け抜けてきました。子どもを産んだら研究はどうなってしまうのかなんて考えもしなかったですね。海外で研究するタイミングを逃したのは少し心残りですが、またいつか行ってやろうとは思っています。
 
SaruhashiPrize39

第39回猿橋賞受賞時の講演の様子

 
── ありがとうございました。梅津先生は2019年に優れた女性科学者を称える第39回猿橋賞を受賞。さらに2020年には、科学技術雑誌『Asian Scientist』のThe Asian Scientist 100 List に選ばれました。これからの梅津先生の活躍が楽しみです。
 

いつもそばにあるもの model
分子模型キットで作ったホイスラー合金の結晶構造の模型
「理想的なハーフメタルに近づけるためにはどの位置にどの元素を配置するかが重要です。デスクの脇にこの模型を置いて、くるくる回しながら実験を考えています」
 

この道を選んでなかったら? テニスコーチ
スポーツマンで国体選手だった父の影響からか、体を動かすことが大好きで、小学生のときは将来はスポーツ選手になりたいと思ったことも。学生の頃はバイトコーチをしていた。「ただ、全国で活躍するような選手にはなれなかったので、競技者はあきらめました。それでも科学的にアスリートをサポートするために体育科に進みたいと真剣に考えていたのですが、物理の勉強も面白くなってきて、結局理系の道に進みました」

 

梅津 理恵(うめつ・りえ)
東北大学金属材料研究所教授。1970年宮城県仙台市生まれ。奈良女子大学理学部物理科卒業。同大学大学院理学研究科物理学専攻で修士号を取得後、奈良県立医科大学精神科医局で研究生として臨床心理学を学ぶが、母親の病気の看護のため、仙台に戻る。東北大学大学院工学研究科博士課程に入り材料物性学を学び、2000年に博士号(工学)取得。日本学術振興会特別研究員(PD)等、東北大学金属材料研究所助教、准教授を経て2020年から現職。

 

取材日:2020年12月22日
取材・文:寒竹 泉美(チーム・パスカル)
 
*インタビューはオンラインにて実施しました
写真・図表はすべて梅津氏提供

 

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