3S研究者探訪 #09 長里千香子
海を泳いで受精する褐藻の細胞生物学
─ワカメやコンブはどのように生殖して育つのか─

3S(スリーエス)とは、 稲盛研究助成 を受けた研究者から構成される「盛和スカラーズソサエティ(Seiwa Scholars Society)」の略称です。3Sでのつながりをきっかけにその多様な専門性の交流が深まることで、助成対象者の研究がさらに発展していくことを願い、1997年から活動してきました。連載「3S研究者探訪」では、さまざまな分野で活躍する3Sの研究者へのインタビューをお届けしています。第9回は、北海道大学室蘭臨海実験所の長里千香子(ながさと・ちかこ)氏=2012年助成対象者=です 。これまでコロナ禍のためオンラインでの訪問でしたが、今回初めて、実際に研究室を訪ねてきました。

日本の食卓になじみの深いワカメやコンブ、ヒジキやモズク。これらは皆、褐藻(かっそう)と呼ばれる海藻の仲間です。褐藻は食品として利用されているだけでなく、それらに含まれるねばねば成分は、医薬品や化粧品などにも活用されています。また、大きく成長する褐藻は地球環境や海の生態系にとっても重要な役割を担っています。今回の3S研究者探訪では、北海道大学北方生物圏フィールド科学センター室蘭臨海実験所を訪ね、褐藻の生殖や発生の研究をしている所長の長里氏にお話を伺いました。

海藻の生態はまだまだ謎に包まれている

──褐藻の研究を始めたきっかけを教えてください。

長里千香子氏(以下敬称略) もともと動物の受精に興味があり、山形大学の理学部生物学科に入学しました。しかし、いざ取り組んでみると動物を触るのが苦手なことに気付いたのです。動物が苦手なら植物を研究対象にすればよかったのですが、植物の受精を研究対象としている先生が近くにいませんでした。

どの方向に進むか悩んでいた3年生のときに、たまたま北海道大学の室蘭臨海実験所(当時は理学部附属海藻研究所)の実習に参加する機会がありました。実習では顕微鏡で褐藻の受精を観察し、その様子に強く心を惹かれました。

褐藻は成熟すると配偶子を自分の体から海の中へ放出します。配偶子は海の中を泳ぐことができます。褐藻にも動物の卵に相当する雌性配偶子と、精子に相当する雄性配偶子があり、これらが融合して受精します。雌性配偶子は雄性配偶子よりも先に岩などに付着し、性フェロモンを放出し、雄性配偶子を呼び寄せるのです。雌性配偶子と雄性配偶子の大きさが動物の卵と精子のように大きく違う褐藻もあれば、雌性配偶子と雄性配偶子の大きさがあまり変わらない褐藻もあります。

褐藻の受精の面白さを知ったことがきっかけになって、北海道大学大学院理学研究科に進み、世界でも珍しい海藻だけを扱う臨海施設であった、この室蘭臨海実験所での研究がスタートしました。

褐藻などの海藻の多くは1年の間に大きく姿を変えます。季節的変化に加えて、ライフサイクルの中に胞子体と配偶体といった世代交代があるためです。私たちが思い浮かべるコンブやワカメの姿は胞子体と呼ばれている世代です。胞子体は無性生殖細胞を放出したあとに枯れてしまいます。無性生殖細胞は細胞分裂を繰り返して配偶体となります。コンブやワカメの配偶体は目に見えないほど小さな姿です。その姿のままワカメは海水が冷たくなる秋まで、コンブは秋から早春にかけて海水の中で数カ月を過ごします。夏に本州で海水浴をした場合、ワカメを目にする機会がないのは、ワカメが配偶体で過ごしている時期だからです。

私は、特に褐藻が大きな体になる前の小さな配偶体や配偶子に惹かれて研究しています。研究室で扱いやすいという理由もありますが、こんな小さなものが海の中で泳いだり受精したりする様子を想像するのが楽しいのです。また、受精した後に、受精卵由来の1個の細胞がどのように分裂して、複雑な体を作り上げているのかについても、興味を持っています。

実験室で話をしてくれた長里氏。窓の外には海が広がっていた

──室蘭臨海実験所は海がすぐそばにあって、海藻の研究には適していますね。

長里 この部屋の窓からも海が見えていますが、海藻の採集場所には車で5分も走れば到着します。歩いても行けますし、バケツを担いで自転車で行くスタッフもいます。実験所から近く、しかも寒流と暖流の両方がこの沿岸に流れ込むため、豊かな海藻の植生があり、さまざまな褐藻を採集することができる最適な場所なのです。

海藻のライフサイクルを研究するためには、自生する海藻を採集するだけでなく、研究室で培養できた方が好都合です。海藻を実験室で培養するのは非常に難しいのですが、当実験所には1933年の創設以来さまざまな知識や経験が蓄積されているので、それを活かして研究を進めることができます。海外からの研究者が長期で滞在し、研究することも多いですね。そのための宿泊施設も併設されています。

褐藻の培養の様子。温度勾配恒温器に入れて、褐藻の種類ごとにいろいろな条件を変えて管理(左上)、室蘭の海に合わせた温度に保たれている恒温室で培養中の褐藻類(左下、右上・下)、振とう器を使って成長を促している(右下、提供:北海道大学 名誉教授 本村泰三)

──これまでの研究で最も興奮した瞬間を教えてください。

長里 褐藻の細胞分裂の様子を電子顕微鏡で鮮明にとらえることに成功し、従来の報告とは異なる姿が見えたときです。

動物と植物では細胞分裂の方法が異なります。染色体を複製して二つに分けるところまではだいたい同じですが、細胞質の分け方が違うのです。動物細胞では中央がくびれて二つに分かれますが、植物ではくびれるのではなく、中央に仕切り板のようなものが現れて、二つの細胞に分かれます。私がこの研究を開始した当時、褐藻は、動物のように中央がくびれる形で細胞分裂を行うのではないかと考えられていました。多くの真核生物はくびれて二つに分かれていたため、褐藻も同じだろうと予想されていたのです。さらに、褐藻の細胞には、動物細胞と共通する「中心体」という細胞小器官も存在していました。この細胞小器官は、動物の細胞分裂に重要な働きを持っています。

電子顕微鏡で鮮明に観察できれば、細胞分裂の様子を明らかにできますが、褐藻の成分であるアルギン酸が実験の妨げになっていました。アルギン酸は粘り気があり、そのために電子顕微鏡の切片を作るための固定液や樹脂が試料に浸透しにくく、解像度の高い画像を得ることが難しかったのです。そこで私たちは、細胞の固定方法や試薬などに工夫を凝らして、アルギン酸があっても電子顕微鏡で観察できる方法を開発しました。その結果、見えてきたのは、中央に仕切り板が現れる、植物に似た方式の細胞分裂でした。

実験所の電子顕微鏡は撮影にフィルムを使うタイプ。すでに製造販売が終了している貴重なフィルムだが、必要時は学生も含め実験所内の誰もが使用できるようにしている

──この発見は何を意味するのでしょうか。

長里 海藻は褐藻、緑藻、紅藻に分けられますが、緑藻と紅藻は植物とともに真核生物の系統の一つであるアーケプラスチダという群に含まれます。褐藻はというと珪藻や卵菌類などと同じストラメノパイルという群に属します。真核生物の多くが細胞の中央がくびれていく分裂をしているため、この分裂方式が原型だと考えられていますが、植物と褐藻はそれぞれが進化していく過程で、よく似た細胞分裂様式を独自に獲得してきたのでしょう。細胞壁に囲まれた細胞が大型化したり複雑化したりしていく過程で、中央に仕切りができる方法に変化していったのではないか、そんなストーリーを考えながら、学生たちとさらなる研究を進めています。

褐藻がどのように多細胞化していったのかは、進化的に見ても興味深いテーマです。多細胞化すれば、細胞同士が連携する必要があります。褐藻の細胞は、隣の細胞と小さなトンネルのような構造で繋がっていることはわかっており、そこに物質のやり取りがあるところまでは確認できました。この小さなトンネルを介した物質のやりとりの性質は、細胞が置かれた環境の変化や発生の段階で変わっていくと予測しています。褐藻において細胞間のシグナル伝達が状況に応じてどう行われているのかということにも興味を持って研究しています。

褐藻研究特有の難しさを乗り越えて

──植物や動物に比べて、まだ解明されていないことが多いのはなぜですか?

長里 マウスやショウジョウバエのようなモデル化された生物が少なくて知識の蓄積があまりないことや、陸上植物と比べて人工的な環境で育てるのが難しくて、海藻研究に研究者が参入しにくいことが原因の一つになっていると思います。

ゲノム編集ができるようになったのも、つい最近のことです。2021年にフランスの研究者との共同研究で褐藻のモデル生物であるシオミドロのゲノム編集に成功し、その成果を論文で発表しました。褐藻において標的遺伝子の発現を抑制もしくは上昇させることによってその遺伝子の機能を解析するツールを開発することは長年の願いでした。ゲノム編集技術の確立のため、数年前から試行錯誤を続けていました。しかし、褐藻の細胞には細胞壁があるので、細胞内にゲノム編集に必要なコンポーネントを導入するのが動物細胞よりも難しく、失敗を繰り返していました。フランスの研究者も独自に研究を進めていていることをフランスで行われた会議に出席した際に知り、どちらもうまくいかないので共同で研究を始めました。そして、植物用のマイクロインジェクション装置を試すことで、ようやく成功することができたのです。

ゲノム編集ができれば、研究の可能性は広がります。例えば、育種に利用したり、観察したい細胞構造に蛍光を発する遺伝子操作を加えて動きをリアルタイムでとらえたりすることもできます。まだゲノム編集ができるのはシオミドロだけですが、ほかの褐藻でもできるように、方法を確立していきたいと考えています。

顕微鏡を覗きながらマイクロインジェクション装置を操作する様子

先端直径0.1 µmの細い針で細胞の中に遺伝子を導入する

──共同研究するとしたら、どんな分野の研究者と行いたいですか?

長里 海藻に興味を持っていて、「これを研究したい」というアイデアがある方なら、誰でも歓迎です。まずは海藻研究者の人口を増やしたいですね。

学部の学生に海藻についてどんなイメージを持っているかを尋ねると、「食べるのが好き」とか「ヌルヌルしている」といった答えが返ってきます。研究対象としてはあまり認知されていないので、そこを変えていけたらいいなと思っています。

ここでは、毎年5月に理学部生物学科の学生を対象に、臨海実習を行っています。宿泊施設に泊まり、海藻の受精・発生実験、蛍光顕微鏡や電子顕微鏡の操作、海で海藻を採集するフィールドワークなど、海藻研究に必要なことを一通りやってもらいます。他大学や海外からの学部生・大学院生に向けた実習も春と夏に行っています。この実習には、夏に参加して、翌年に再び参加するといったリピーターとなってくれる方もいらっしゃいます。

胴付き長靴を履いて海藻を採集する学生たち
(撮影:室蘭臨海実験所 助教 市原健介)

多様なスタイルで取り組める海藻研究の面白さ

──先生も海に潜って海藻を採集することはあるのでしょうか?

長里 実は、私は泳げないし潜れないのです。さらに船酔いもするので、調査船に乗って沖の方を調査することもできません(笑)。実験所には潜水士の資格を持った研究者もいます。彼も泳げないんですけど、潜ることはできます。いろいろなスタイルで研究していいと思います。

室蘭臨海実験所には2022年現在2名の大学院生と7名のスタッフが所属している

──海藻研究者が泳げないのは意外な感じがしました。

長里 そうですよね。岩手の生まれで海が近くにないと落ち着かないくせに、泳げないのです。実は魚を食べるのも苦手です。海藻は食べるのも大好きなので、料理には隙あらば海藻を投入しています。海の見える景色も好きです。お気に入りの場所は室蘭駅から車で15分くらいのところにある絵鞆(えとも)岬です。帰り道にいつも通るのですが、海に沈む夕日がとても綺麗です。

培養中の褐藻を紹介してくれる長里氏

──特にお気に入りの海藻はありますか?

長里 ヒバマタという名前の褐藻です。初めて見た褐藻の受精がヒバマタだったので、思い入れがあります。寒いところでしか育たない褐藻で、ここ室蘭が生育地の南限なのですが、近年は見かけることが少なくなってきたため、南限が少しずつ北へ移動しているのかもしれません。学生を連れて行って海藻を採集するときも、「ヒバマタは採らないで」とお願いしています。ヒバマタの研究がしたくて室蘭に来たのに、今では希少な海藻になってしまいました。ただ、ヨーロッパの海にはたくさん生えています。

──最後に研究者を目指す方にアドバイスがありましたら、お願いします。

長里 自分の研究だけでなく、いろいろなことに興味を持って取り組んでほしいですね。特にここは札幌キャンパスから離れていて、他の分野の人とコミュニケーションする機会が少ないので、研究所に所属になった学生には、積極的に行動した方がいいよとよく言っています。他の研究室の先生に聞きたいことがあるときも、自分でメールを書いて直接コンタクトを取るように指導しています。たとえ相手が海外の研究者の場合でも同様です。

現在、室蘭臨海実験所では、主に褐藻と緑藻の細胞生物学、生理学といった分野の研究をしています。私は海藻の受精の面白さからこの世界に入りましたが、海藻にはいろいろな側面があり、魅力は尽きません。私たちの生活にも地球環境にも重要です。海藻の研究に興味を持つ人が増えてくれたら嬉しいですね。

いつもそばにあるもの 長里氏専用の実験用具
ピンセットには名前を書いたラベルが貼られている。「ピンセットは大学院1年生のときから使っています。これがないと細い海藻を掴めません。真ん中の針(左から3、4本目)は歯医者さんが使うものですが、爪を磨くやすりで研いで使います。右端はノエス剪刀というとても高価なハサミで、指導教官の先生が退官されるときにいただいたものです」
この一冊 『藻類の多様性と系統』(千原光雄 編、裳華房)
1999年に発行された藻類研究の教科書的存在の本。「藻類について必要なことは大体網羅している本で、前所長の本村泰三先生も執筆されています。藻類研究者は皆さん持ってるのではないかと思います。ここの研究室では全員持っていますね。この本を使って学生たちと読み合わせの勉強会も行っています」

 

長里千香子(ながさと・ちかこ)
北海道大学北方生物圏フィールド科学センター 水圏ステーション室蘭臨海実験所 教授・所長。山形大学理学部卒業後、北海道大学大学院理学研究科に入学。室蘭臨海実験所で褐藻の生殖と発生の研究を行う。2003年に北海道大学北方生物圏フィールド科学センター助教授、2007年に同センター准教授を経て、2020年から現職。

取材日:2022年7月21日
取材・文:寒竹 泉美(チーム・パスカル)
撮影:中村 健太

 

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