編集後記

Vol.8 2021.12.24

 

 12月になり、年と年との境が近づいてきました。この時期になると、一年を振りかえり、来たる年に思いを馳せます。

 ちいさい頃に好きだった物語に、ミヒャエル・エンデの『モモ』があります。副題は「時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」。先日ふと思い出し、この物語を再読しました。
 主人公のモモが出会う、マイスター・ホラという年齢不詳の老人は、この世の「時間」を司る人物です。彼が人間の一人ひとりに配る時間の、その一刻一刻ごとには、実はあたらしい「時間の花」が次々と咲いては散っていっている。ひとつ咲くごとにいちばん美しく、いっそうあでやかに薫るこの花こそが、時間のほんとうの姿。そして、「光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある」のだと、マイスター・ホラは伝えます。
 何かをつかもうとすると、とつぜん時間は、そのための物差しや道具のように見えてきます。でも、ひと時ごとに咲いていた花を思い、今も自分のなかでつぼみを開く花を感じようとしてみると、時と時との間には、何にもはかれないゆたかな世界が広がっているのかもしれません。

 本年もこのメールマガジンをお読みくださり、ありがとうございました。どうぞ健やかな新春をお迎えください。(I)

 

十二月○日

 はーい、お熱測りますね。あちらにかけてお待ちください。私が入ったのは洋食店のはずだが、病院の待合室のようなやりとりにくすりと笑った。

十二月○日

 散歩するといいことがある。先日、何気なく白峯神宮に立ち寄ると、どっと笑い声が聞こえた。なんだろうと視線をやると、白衣に色とりどりの袴を腰に巻いた神職さんたちが、七人で輪になって蹴鞠をしていた。どうやら月に二回の稽古の日らしい。たまに蹴り損じて鞠があらぬ方に飛んでいくと、はっはっは、と闊達な笑い声が立ちのぼった。寒空の下、輪のまわりだけは陽差しがほのかに暖かく、見守るように立つ右近の橘に黄色い実がなっていた。

 今年もありがとうございました。良いお年をお迎えください。(F)