3S研究者探訪 #08 弓場英司
バイオマテリアル研究で効果的な免疫療法につなげる
─がん細胞の抗原を免疫細胞に運ぶ脂質ナノカプセルの開発─

3S(スリーエス)とは、 稲盛研究助成 を受けた研究者から構成される「盛和スカラーズソサエティ(Seiwa Scholars Society)」の略称です。3Sでのつながりをきっかけにその多様な専門性の交流が深まることで、助成対象者の研究がさらに発展していくことを願い、1997年から活動してきました。連載「3S研究者探訪」では、さまざまな分野で活躍する3Sの研究者へのインタビューをお届けしています。第8回は、大阪公立大学の弓場英司(ゆば・えいじ)氏=2019年助成対象者=です。

薬を、体内の適切な場所に、適切な量を、適切な時間だけ届ける技術が「ドラッグデリバリーシステム(DDS)」です。より効果的なDDSを実現するには、体の仕組みを細胞や分子レベルで理解し、それらの働きを利用できる新しい材料の研究が必要になります。大阪公立大学の弓場英司氏は、高分子化学や有機合成化学の手法を使ってDDSのための、微小な「脂質ナノカプセル」を開発しています。いったいどのようなカプセルなのでしょうか。詳しいお話を伺いました。

薬の届け方で免疫システムの働き方が決まる

──脂質ナノカプセルとは、どういうものなのでしょうか。

弓場英司氏(以下敬称略) 名前の通り、薬を脂質の膜でくるんだ非常に小さいカプセルです。薬は体内のどこで効くかが重要です。脂質でくるんで守ることで、細胞の中で効果を発揮してほしい薬が、細胞の外で効いてしまわないようにすることができます。もともと私たちの細胞の膜も脂質でできていて、外から来た物質を中に取り入れるかどうかや、取り入れたものをどこに運んでいくのかを、さまざまな方法で判断しています。その仕組みを利用し、脂質ナノカプセルに特定の標識や機能をつけて修飾することで、細胞に取り込まれやすくしたり、細胞の中で運ばれる経路を操作したりすることもできるのです。

脂質ナノカプセルの中でも人間や他の動物と同じ「リン脂質」で構成され、内腔をもつものを「リポソーム」と呼びます(下図左)。リン脂質は水になじむ頭部(親水性)と油になじんで水にはなじまない尾部(疎水性)で構成されています。そのため、水の中に入れると、疎水性の尾部同士が水を避けて集合し、頭部を外側にしたカプセルを作ります。リポソームを作製するときは、カプセルの中に入れたい薬の水溶液をリン脂質の中に投入してかき混ぜると薬がカプセルに包まれた形になります。この時、カプセルの大きさはバラバラなので、ふるいをかけるように小さな穴のフィルターを通してサイズ選別を行い、リポソームを作製します(下図右)。

図 リポソームを構成するリン脂質とリポソームの作製法

脂質ナノカプセル自体は昔からある技術で、1990年代くらいから臨床の現場で実用化もされています。また、最近では新型コロナワクチンで実用化されたmRNAワクチンに、分解されやすいmRNAを細胞の中まで届けるためにドラッグデリバリー技術が応用されています。私たちは、脂質ナノカプセルをいろいろ修飾することで、がんの治療に役立つドラッグデリバリーシステムを開発することを目指しています。

──脂質ナノカプセルを使って、抗がん剤をがん細胞に届けるということでしょうか?

弓場 その方法も広く研究されていますが、私たちが主に研究しているのは、人にもともと備わっている体を守る力を利用した「がん免疫療法」と呼ばれる治療法です。体の中の免疫細胞は、外から入ってきた病原体と戦うだけでなく、体内に現れるがん細胞とも戦っています。その免疫細胞の力を活かしてがんを消滅させるのが、がん免疫療法です。がん免疫療法のターゲットになる免疫細胞は、正常な細胞には攻撃しないため、放射線や抗がん剤による治療と比べて体へのダメージが少なく、従来の治療法では効果がなかったがんを治療することもできる可能性があります。

免疫細胞は一度出合った敵を記憶して、繰り返し攻撃することができますが、その性質をうまく利用して作られているのが、感染症のワクチンですね。感染症のワクチンを作るときは、弱めたウイルスや病原体、もしくはその一部を「抗原」として体の中に入れて、免疫細胞に記憶させます。それと同様に、私たちの方法はがん細胞のかけらを抗原とします。脂質ナノカプセルに入れるものは抗がん剤ではなく、がん細胞の抗原です。抗原を免疫細胞に届けることで、免疫細胞をがんに対して活性化させるのです。

──免疫細胞を活性化するためには、どのような工夫が必要なのでしょうか?

弓場 敵を記憶する免疫細胞には、抗体を作り出して相手の活動をブロックするグループと、自らが活性化して直接攻撃をするグループがいます。感染症の場合、主に抗体をどう産生させるかが重要になりますが、がんの場合は異なります。がん細胞をより強力にやっつけるのは後者で、具体的には「キラーT細胞」と呼ばれる免疫細胞の活性化が必要です。実は、脂質ナノカプセルで抗原を細胞に届けただけでは、前者の経路が活性化してしまうのです。私たちはカプセルに化学的な修飾を施し、細胞内で抗原を放出させ、運ばれる経路を変えることで、キラーT細胞を活性化させることに成功しました。

さらに、活性化されたキラーT細胞が実際にがんをやっつけるところまで確認しました。がん細胞を移植して腫瘍を形成したマウスに、開発した脂質ナノカプセルでくるんだがん抗原を投与すると、期待通り、がん免疫が誘導されて抗原をもつ腫瘍だけがみるみるうちに小さくなったのです(下図)。それを見たときは非常に嬉しかったですね。

がんのモデルマウスにおける抗腫瘍効果を示す図。左の腫瘍の抗原を脂質ナノカプセルで投与した結果、左の腫瘍は小さくなり(グラフ左)、右の腫瘍は抑制されなかった(グラフ右)

化学×免疫学 で大きく広がる可能性

──微小なサイズのカプセルをどうやって修飾するのでしょうか。

弓場 高分子化学や有機合成化学の手法を用いて、脂質ナノカプセルの表面や脂質の尾部となじみやすい構造をもつ機能性分子を作ります。実際の作業はフラスコに物質を入れて混ぜて加熱して……という地道な作業の繰り返しです。できあがった物質は、NMR(Nuclear Magnetic Resonance:核磁気共鳴)という分析装置を使って、目的の分子構造になっているかどうかを確認します。

化学を研究している人にとっては普通の手法ですが、それを免疫学に用いて、分子の合成から細胞や実験動物を用いた評価までをやっている人はめずらしいかもしれません。合成した分子が生体にどのように効いたのか、その結果を踏まえたうえで、次に作る分子のアイデアを練る。それが私の研究のサイクルです。がん抗原をもっと免疫細胞に取り込ませやすくする改良も必要ですし、取り込まれたあとは免疫細胞をもっと高い活性状態に導く工夫も求められます。免疫学を踏まえた材料設計と化学を組み合わせることで、より治療効果の高い脂質ナノカプセルを開発していきたいですね。

──現在の研究テーマを志したきっかけを教えてください。

弓場 私が学部のときに所属していたのは工学部機能物質科学科です。機能を持った物質を研究する学科ですから、どんな機能で何に使う機能なのかは自由です。研究室によって取り組んでいる研究テーマはかなり多岐にわたっていました。環境、電気化学、半導体、有機化学など、いろいろ学べることに魅力を感じて入学しました。

最初は地球温暖化などの環境問題に興味があったのですが、研究室に入る直前に突然、市販薬のアレルギーを発症してしまいました。その原因を探るために市販薬に含まれている薬効成分を一種類ずつ服用して応答を見る、そんな実験のようなことをお医者さんと行っているうちに、自分の体の中で起こっていること、特に免疫に興味を持つようになったのです。研究室に配属されたときに、指導教員から提案されたテーマが免疫細胞に薬を届ける方法の開発だったので、運命的なものを感じ、すぐに承諾しました。

──免疫学と化学の両方を研究するにあたって、大変だったことは何でしょうか?

弓場 大変だったのは、免疫学の実験手法を確立させることでしたね。所属していた研究室には免疫に関する実験をしている人がいなかったため、自ら調べたり、隣の研究棟の獣医学科に行って実験を教えてもらったりもしました。当時は博士課程の学生でしたが、誰かに任せるのではなく、自分が作った材料がどういう性質を示すのかというところまで、自分の手で実証したかったのです。もちろん細胞レベルの免疫反応の本当に細かいところは自分ひとりでは解明できませんが、自分の作った薬のデリバリーシステムが腫瘍をやっつけるところまでは見届けたかった。免疫学の実験に慣れていなかったせいで手際が悪く、途中で止められないスケジュールを組んでしまい、朝から晩まで飲まず食わずで実験したこともありました。

──今後、先生の研究は、どのように発展していくのでしょうか。

弓場 私たちが開発したがん免疫療法のドラッグデリバリーシステムについては、人の治療に使えるように研究を進めています。マウスの実験で目覚ましい効果が出ていますし、もう少し大型の動物でも効果が出ています。今後は臨床医や製薬企業の方々と協力して、実用化を目指していきます。

また、脂質ナノカプセルの手法は、カプセルの中に入れるものを変えれば、がん以外の治療にも応用できます。私は、2019年に学内の在外研究員派遣制度でシカゴ大学に半年間行かせていただき、そこで自己免疫疾患のためのドラッグデリバリーシステムを研究したのですが、その経験も生かして、自己免疫疾患の治療のための材料開発にも取り組みたいと考えています。



──共同研究をするとしたら、どんな分野の方と行ってみたいですか?

弓場 私の研究は、人工の材料と免疫系細胞との相互作用に焦点をあてていますが、細胞の中で何が起こっているかまでは詳しく見ることができていません。細胞内の生化学的応答を詳しく調べている生物学者の方や、免疫学者の方、または自己免疫疾患を専門的に研究されている方と共同研究できたら嬉しいですね。

環境汚染で問題になっているマイクロプラスチックにも興味があります。マイクロプラスチックが、実際に生物の体にどのような影響を及ぼすのかを調べたいと考えています。ドラッグデリバリーシステムとはがらりと違う内容ですが、私の中ではつながっています。というのも、私の興味は人工の材料と免疫系とがどのように相互作用するのかというところにあるからです。文系・理系を問わず環境汚染を研究している方と一緒にコラボレーションできると、いろいろ広がりがあるかなと思っています。

バンド活動と研究の共通点

──弓場先生はプライベートではバンド活動を行っていると聞きました。

弓場 ギターやベースを始めたのは中学生のときです。バンドも中学からずっと今に至るまでやっています。大学の学園祭には11年連続で出ましたし、学科の教員同士でバンドを組んで卒業謝恩祝賀会で演奏したこともありました。私がメインで演奏する楽器はベースです。普段は、バンドのボトムを支えて、ギターとボーカルに前面に出てもらう。ときどきは前に出ることもある。自分の性格に合った楽器で気に入っています。

バンドと研究は、まったく違うもののように思われるのですが、意外と根元のところは繋がっている気がしているのです。まだ、うまく言い表せないですが両方やっていることで得られるものが大きいです。例えば、私の場合、バンドは同じメンバーとずっと組んでいるわけではなく、さまざまな人と組んでいます。演奏する曲もバンドの雰囲気も、組む相手ごとにがらりと変わります。それがまた面白いのです。研究者としても、いろいろな人と組んで新しいものを作っていくことに抵抗がなく楽しめています。それぞれの得意技でセッションして新しいものを生み出すところは、バンドと研究に共通するところかもしれません。

研究とは関係ない人のつながりの中で、熱中して研究のことをまったく忘れる瞬間も大切にしています。最近は忙しくて活動が少し減ってしまいましたが、研究者になってからも週末の多くはバンドをやっていました。休日に思いっきり音楽に熱中するとリフレッシュできて、平日は研究に打ち込むことができるのです。

大阪の某ライブハウスにて

──2020年から2年間、内閣府の科学技術政策フェローとして出向されています。これはどういうお仕事なのでしょうか?

弓場 いろいろな仕事がありましたが、主に、5年に一度国が策定する「科学技術・イノベーション基本計画」の作成に関わらせていただきました。科学技術の政策がどのように動いているのかを知ることができて視野が広がりました。また、研究者が国の政策を作るところにも貢献できるという手ごたえを得たのも非常に大きな収穫だと思っています。

また、2022年からは学長特別補佐という、大学の運営にも関係する仕事にも就いています。執行部になってまだ2ヶ月しか経っていませんが、いろいろな会議に出席して勉強していく中で、大学がどのように動いているのかがわかってきました。2022年に大阪市立大学と大阪府立大学が一つになったことで、キャンパス間や部局間の調整など、新しい方法を考えていく必要があります。自分の活動が大学全体を良くしていく方向につながっていることに、とてもやりがいを感じています。

──最後に、研究者を志している若い方にメッセージを送るとしたら、どんなことを言いたいですか?

弓場 自分の専門性を深めていくことも大事ですが、研究以外のところへ出ていっていろんなもの・ことを見聞きすることで、自分の考え方も人間関係も広がっていきます。若い世代の方々には、自分の視野を広げる機会があれば、ぜひチャレンジしていただきたいなと思います。私はいつも学生さんには、失敗してもいいからまずやってみようと伝えています。チャレンジしやすい環境を作るのは上の世代の役割ではないかと思っています。若い人たちには、失敗を恐れず、できるだけチャレンジしてもらいたいですね。

優しい笑顔が印象的な弓場氏

 

いつもそばにあるもの 学生の寄せ書き
弓場氏の研究室には、自身の誕生日に学生たちから贈られた寄せ書きが大切に飾られています。「人の想いって、なかなか目に見えないですが、こんなふうに寄せ書きとして表してもらうと本当に嬉しいですね。くじけそうになったときにこれを見ると、元気が出ます。学生さんには本当に恵まれていて、いつも支えられています」

この一冊 『若い読者のための第三のチンパンジー ──人間という動物の進化と未来──』(ジャレド・ダイアモンド著、草思社)
ダイアモンド氏の著作はほとんど読んでいると話す弓場氏。「人間とは何かということを、進化学や地理学など、さまざまな視点から概説している本です。答えを単純に並べるのではなく、何がわかって何がわかっていないのかということが提示されています。読みながら考えていける本なので、多くのアイデアが湧きました」

 

弓場英司(ゆば・えいじ)
大阪公立大学大学院工学研究科准教授。2010年に大阪府立大学大学院工学研究科博士後期課程を修了し、博士(工学)取得。同研究科助教を経て2017年に准教授に着任。2019年から半年間、客員研究員としてシカゴ大学へ。帰国後は、内閣府科学技術政策フェローや大阪公立大学学長特別補佐を兼務する。2022年、文部科学大臣表彰「若手科学者賞」受賞。

取材日:2022年6月27日
取材・文:寒竹 泉美(チーム・パスカル)
 
*インタビューはオンラインにて実施しました
写真・図表はすべて弓場氏提供

 

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