3S研究者探訪 #02 西浦博
数理モデルで新型コロナの流行を分析、感染症との戦いの最前線
─人々の行動変容までを関数に入れた感染症モデル化の試み─

3S(スリーエス)とは、 稲盛研究助成 を受けた研究者から構成される「盛和スカラーズソサエティ(Seiwa Scholars Society)」の略称です。3Sでのつながりをきっかけにその多様な専門性の交流が深まることで、助成対象者の研究が更に発展していくことを願い、1997年から活動してきました。さまざまな分野で活躍する、3Sの研究者へのインタビューをお届けする連載「3S研究者探訪」。今回は、京都大学の西浦博(にしうら・ひろし)氏=2017年助成対象者=です。

2019年末に中国で発生した新型コロナウイルス感染症の流行は、その後急速に世界中に広がり、2021年1月現在の日本でも感染者が増え続けています。京都大学の西浦博教授は流行初期の段階で新型コロナの感染傾向を数理モデルによるコンピュータシミュレーションで解析。「人と人との接触の8割削減」「3密の回避」という国民の感染予防の基本対策を政府に提言しました。感染症という人類共通の見えない敵に数学を駆使して戦う西浦氏に、コロナ対策の最前線と研究が目指す地平をお聞きしました。

コロナ対策の最前線に研究を活かす

── 「8割おじさん」として知られる西浦先生が、「数理モデル」から導き出した新型コロナの感染予防対策、「接触の8割削減」「3密の回避」は国民全体に定着しました。8月に北海道大学から京都大学に移られてからも、日本政府が進める感染対策には関わられているのでしょうか?

西浦博氏(以下敬称略) フォーマルな立場としては、厚生労働省のコロナ対策のアドバイザリーボードに参加しています。そこでは現在の最新データをもとにした流行の分析が日々行われており、週に一度実施される政府の有識者会議分科会に提言を行っています。私は数理モデルでリスク評価をする専門チームの一員です。この流行をできるだけ被害少なく収束させるために、メンバーは休日も関係なく日夜オンラインで議論を続けています。

── コロナ禍における経済振興策として進められていた「GO TOトラベル」「GO TOイート」も1月でストップすることになりました。

西浦 それらの施策に伴う人の移動が流行にどれぐらい関わっているか、未出版物を含めて客観的な分析結果を提出したことが、停止の判断材料の1つになったと思います。新型コロナのような未知の感染症は、どのような経路で感染が広がっていくのか、初期段階ではわかりません。そのような見えない相手との戦いで、感染者情報を集積したデータに基づく数理モデル解析によってクラスター対策という日本独自の施策が生まれ、爆発的な感染拡大が抑えられたことは一定の成果だったと思います。一方でご存じの通り、接触回避などにより人々の社会経済活動に大きな影響が出ており、感染症対策とのバランスをとることの大変さを日々感じているところです。

── コロナ以前にも先生の感染症数理モデルの研究の成果を、政府に提言される機会はあったのでしょうか?

西浦 はい、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)やインフルエンザ、風疹などについて、数理モデル分析の結果を原著論文にするのはもちろんのこと、厚生労働省の会議で報告する形で提供してきました。風疹の流行を抑えるには、30代〜40代の男性に対して追加予防接種をすることが有効とわかり、厚労省内で実施計画が形作られました。ただ毎日のように感染状況をアップデートしながら分析を続け、対策を提言しなければ間に合わないような事態は今回のコロナ禍が初めてです。

日本人の「ファクターX」は本当にあるのか?

── 西浦先生はコロナの流行初期段階で、「何の対策も打たなければ日本全体で85万人が重篤な事態となり、そのうち42万人が死亡する可能性がある」と試算されました*1 。この数字は国民に大きなインパクトを与え、コロナに対する危機意識を高めたと感じます。一方、欧米に比べて日本ではコロナの感染者、死亡者が少ない状況がしばらく続き、何らかの流行を抑える生理的要因の「ファクターX」があるのではないかとも言われるようになりました。西浦先生は「ファクターX」についてどのようにお考えでしょうか?

西浦 「42万人」という数字が大きかったこともあって、発表後だいぶ議論となりましたが、あれは、中国やドイツ、フランス、スペインなど流行が先行していた国々の感染性や致死率を日本に当てはめて解析した結果から導かれた数字でした。私たちは現在、日本においてコロナによる死亡者数が少ない理由は生理的なファクターXが理由ではなく、単に日本における流行初期の環境条件や確率的変動、初動対策が上手くいったことで、感染が制御できたことが(結果として感染者数自体が少ないことが)大きな理由であると考えています。

seminar at Hoppaido Univ

北海道大学でのセミナーの様子(2019年8月頃・西浦氏提供)

── ということは、現在、日本でも急速に流行が拡大していますが、感染者がこのまま増え続ければ欧米並みに死亡者の数も増えていくということでしょうか。

西浦 その可能性が高いと考えています。日本以外の国でも今年の前半は、韓国、台湾、東南アジアのいくつかの国で流行がそれほど拡大していませんでした。また細かく見ると、アメリカでも州などの地域レベルで感染率に差があります。それらの地域を精緻に分析すると、コロナが感染するファクターは大きく4つ、「人口密度」「気温」「人の移動率と接触率」そして「マスク着用や手洗い、社会的距離の確保などのコンプライアンス」であることがわかったんです*2, 3 。その4つの要因を関数にして、二次感染の客観的指標である実効再生産数*4 との時系列相関を数理モデルで解析したところ、どこの国でも実際の感染状況と合致する結果が得られました。

人口密度が高いところほど流行が拡大しているのは、東京や大阪、ニューヨークなどの大都市を見れば明らかです。人口密度が高い地域ほど、屋内空間の狭い場所で感染者と接触するリスクが高くなりますから。また気温が低いほどウイルスの伝播が起こりやすいことも、東南アジアの感染状況の解析からわかりました。流行対策では優等生と知られてはいるものの、日本ほど感染対策に力を入れていないタイやベトナムの田舎で、感染者がそれほど増えていない理由が謎だったのですが、冬になって気温が低下するとそれらの一部地域でも感染率が増加し始めたのです。

コロナウイルスは人が動くことで移動しますので、人の移動率が流行を左右することもわかっています。実際中国は、国が強制的に移動を制限することで感染を抑えつけています。アメリカはトランプ政権の政策によってマスク着用やフィジカルディスタンスへの取り組みが遅れましたが、それにより感染が拡大しました。つまり国際的な状況を見ると、パンデミック初期段階の数字だけを見て「日本は特別な国である」と判断するのは極めて危険なんです。ファクターXについては引き続き、生理的な要因の可能性も含めて、科学的な分析を進めていく必要があるでしょう。

数理モデルがHIV対策で発揮した威力

── 先生が他の研究者の方々と執筆された『数学セミナー』707号(2020年9月号)の特集『新型コロナウイルスと戦うために数学にできること』では、年齢や性別といった人口の異質性もファクターに入れて計算されていました。人種の違いによっても、コロナの感染率や重症化率は違いがあるのでしょうか?

西浦 一般的に、感染症データの分析では、性別や年齢、人種的なバックグラウンド、職業などのデータが感染に関連するかどうかを調べるのが基本手順になります。コロナの場合、性別と年齢はものすごく死亡リスクに関わっていることは数理モデルからも明らかです。この感染症は男性の方が重症化しやすいことがわかっています。2002年から流行した近縁のコロナウイルスが原因のSARS(重症急性呼吸器症候群)も男性の方が重症化率が高く、性ホルモンが重症化のメカニズムに関わっているのではないかと言われています。また年齢が上がるほど致死率も高くなっていくこともご存じのとおりです。

一方、人種別の重症化率・致死率については、それほどの差が見られません。昨年2月に大きな話題になったダイヤモンド・プリンセス号*5 には、各国のリタイヤした裕福な高齢者がたくさん乗っていました。乗船者には中国、アメリカ、ヨーロッパ、中東系、アフリカ系などさまざまな地域の人々がいましたが、出身国や人種で重症化率、致死率に有意な差が見られなかったんです。アメリカでは黒人とヒスパニックの人口あたり死亡率が高い状況が続いていますが、それは生理的要因というより、感染リスクが高い密集地域で暮らしていたり、人との接触が多いサービス業に従事している率が高いからと考えられます。

── なるほど、「ファクターX」が存在しない可能性があるのはショッキングなお話ですが、数理モデルを使うことで曖昧な印象によらない、データを元にした客観的な分析ができることがわかりました。

西浦 自分の経験では、HIVの国内の感染者および未診断者の数を数理モデルに基づいて算出し、それが国のAIDS対策につながったことが一つの契機となりました。HIVは感染して発病するまでに平均10年間ぐらいの期間があり、その間は潜伏したままです。だから自分自身で「感染したかもしれない」と気づいて検査を受けることが、拡大防止のためには極めて重要なんですね。数理モデルで「バックカリキュレーション(逆計算)」という手法を用いて、水面下の感染者数を推定すると、現時点で日本に3万人ぐらいのHIV感染者がいて、そのうち8割ほどがすでに診断を受けていると定量的に評価できます。その結果、残りの2割に対して診断を受ける啓蒙活動を行っていくことが重要であるとわかり、国に提言を行いました。数理的に相当難しい計算だな、と当初予想したのですが、考えるうちに1つの推定式で記述できると気づき、実際の患者数削減にもつながる数字が出せたことは本当にうれしかったですね。

x t = s = 1 t λ t s x = t s + 1 t 1 1 α x y = 1 s 1 1 ρ y

カレンダー時刻における水面下の(未診断の)HIV感染者数 xを、
λ(HIV感染率)、α(HIV診断率)、ρ(AIDS発症率)から推定する計算式*6
人々の行動変容までも関数に取り込む

── 西浦先生がいま目指している研究目標を教えていただけますか?

西浦 新型コロナウイルス感染症は、数ヶ月おきに流行の山と谷があります。恐らくそれは、強い流行対策の影響はもちろんですが、メディアの報道や人々の意識の変化によって行動変容が起きているからと考えられます。そこで報道等のアナウンスと感染率が相互に関連しあっている現象を、数理モデル化したいと考えるようになりました。

札幌や関東、大阪では、第2波のピークが7月末から8月の第1週にかけて低下しました。そのタイミングを細かく分析してみると、日本政府が人々に対して自粛を要請するような行動制限をかけたわけではないのに、どうやら国民の多くが「空気を読んで」、移動の頻度を自ら下げたことで指数関数的な感染速度が弱まったと考えられるんです。

2020年3月以降10月末までの大阪府のPCR陽性者数の変遷
(大阪府新型コロナウイルス感染症対策サイト掲載のデータより稲盛財団が作成)

 
西浦 皆さんも肌で感じていると思いますが、世の中のコロナに対する空気が「どうもやばそうだ」となると、夜の街を飲み歩く人が一気に減りますよね。すると接触率が低下しますから、少し後の感染率も必ず下がるんです。私の経験では、ここまで接触率の低下によって明確に感染が制御できる感染症は、新型コロナが初めてです。もちろん感染者数が少ない間だけ見られる現象ですが、感染が活発になると人々の行動が変化し、結果的に感染率も下がっていく。その相互作用のメカニズムを数理モデル化することができれば、人々の行動変容を促すアナウンスメントを効果的なタイミングで打つことで、感染症を抑える有効な対策が考案できる可能性があります。

── 人の行動変容までも数理モデルの関数に取り入れるわけですね。

西浦 はい、世の中に実際に役に立つ上に、数学的に見ても非常に興味深く、やりがいのあるチャレンジだと考えています。いま世界では新型コロナに対するワクチンが開発され、各国で接種が始まっていますが、日本の全国民にワクチンが行き渡るまでにはかなりの時間がかかります。それまでに何度か流行が拡大するのは間違いのないことだと思います。そこで、時間を稼ぐための有効な対策の一つとして、早期のアナウンスメントによる感染抑制の手法をカスタマイズして使用できればと考えています。

数字の先にある「人間ドラマ」の想像力

── もしこの職業を選んでいなかったら、何の仕事をされていたと思いますか?

西浦 断然、宝石鑑定士です。私は大阪の出身で、小学生の頃から南海電車なんば駅近くの宝石鑑定士のブースのような小さな仮店舗を見るのが好きだったんです。バブルの時代できれいに着飾ったお姉さんたちが、宝石を持って店の前に並んでいるんですね。鑑定士の人は宝石を見て価値を伝えるわけですが、その度にお姉さんたちが、がっかりしたり喜んだりする様子がわかり、宝石を通じたドラマを感じました。そんなふうに「手に職」のある他者ではできない仕事を通じて人間ドラマに立ち会えるのって、本当に素敵なことだと思うんです。いまの私の仕事も数字という無機質なデータを扱いながら、導き出す結果によって多くの人々の人生に関わってきます。国の中枢に近い場所で官僚や政治家の方々と仕事をするようになり、「人間ドラマがありすぎる」状況にちょっと疲れることもありますが(笑)、宝石鑑定士に負けないぐらいの面白さを感じています。

Dr. NIshiura at online interview

オンラインインタビューで話す西浦氏

── 感染症を抑えこむためには、西浦先生の数理モデル研究の他にも、医学はもちろん、経済学や社会学など幅広い分野の学知が必要ではないかと思います。先生はこれから、どんな分野の研究者たちと交流を深めていきたいと考えていますか?

西浦 今回の新型コロナの大流行が教えてくれたのは、これまでの「学際的」という言葉から想像される範囲を超えて物事を考えることの大切さです。例えばコロナの収束後も、再び人々が都市に集中して生活し続けることが良いのか。感染症に強い社会にするためには、きっと都市計画の専門家の意見も必要になってくるでしょう。自然科学だけでなく、社会科学や人文科学も含めて横断的に人間の叡知を結集しなければ、感染症に打ち克つことはできません。稲盛財団のネットワークに参加するようになって、知り合った他分野の研究者の方々から連絡をもらったり、情報をいただいたりするようになりました。このご縁を活用して、自分の研究をさらに世の中の役に立てていければと願っています。

── ありがとうございました。

 

*1. 2020年4月15日、西浦氏が所属する厚生労働省のクラスター対策班の記者会見で発表された被害想定

*2. Merow C, Urban MC (2020) Seasonality and uncertainty in global COVID-19 growth rates. Proc Natl Acad Sci U.S.A. 117:27456-27464.

*3. Smith TP, et al. (2020) Environment influences SARS-CoV-2 transmission in the absence of non-pharmaceutical interventions. medRxiv:2020.09.12.20193250.

*4. 感染状況を示す指標の1つ。感染個体がすでに存在するかもしれない現在の集団内で、一感染個体により直接生み出される2次感染個体数の平均値

*5. 2020年1月、新型コロナウイルスに感染した乗客が多数発生したクルーズ船。横浜港で長期検疫体制に入り、各国メディアで対応が逐次報道された

*6. Nishiura H (2019) Estimating the incidence and diagnosed proportion of HIV infections in Japan: a statistical modeling study. PeerJ 7:e6275.

 

いつもそばにあるもの Blackboard
黒板
ヨーロッパで研究員だった時代から、研究で数式を書く時は黒板を愛用する。この黒板は所属する大学を移籍する度に、分解して持ち運んでいるという。若手研究者がホワイトボードを好むのが少し残念らしい。「黒板にチョークで数式をカツカツと書き込むときの音や匂い、黒板消しで消して、また書き込むときの感じがとても好きなんです。ホワイトボードにペンで数式を書いても、やはり気分が出ないですね」
この一冊 Ray Hilborn著『The Ecological Detective: Confronting Models with Data』
タイトルの「生態学の探偵」が意味するように、数理モデル・統計モデルを駆使しながら生命のメカニズムにストーリー仕立てで迫る一冊。「なかなか気軽に読める専門書は少ないですが、この本は寝転がっても読めるぐらい面白く、僕も学生たちにこういう形で研究分野の面白さを伝えたいなあと感じさせられる書です」

 

西浦 博(にしうら・ひろし)
京都大学大学院医学研究科教授。1977年大阪府生まれ。宮崎医科大学医学部卒業、広島大学大学院医歯薬総合研究科修了(保健学博士)。ロンドン大学、チュービンゲン大学、ユトレヒト大学、長崎大学熱帯医学研究所、香港大学で専門研究と教育を経験。2013年東京大学大学院医学系研究科准教授、2016年北海道大学大学院医学研究院教授を経て、現職。2020年8月より京都大学大学院医学研究科教授。専門は感染症数理モデルを利用した流行データの分析。厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部に設置された対策班で流行データ分析に取り組む。

取材日:2020年12月15日
取材・文:大越 裕(チーム・パスカル)

*インタビューはオンラインにて実施しました

 

「3S研究者探訪」  

#01 梅津理恵氏
デバイス革命の鍵を握るハーフメタルの電子を視る ─理論と応用の間をつなぐ基礎研究の底力─

 

ニュース一覧へ戻る