連載「文化芸術の灯」#2
芸術を求める“飢えた顔”に助けられた

株式会社 流
關 秀哉さん
(撮影:岩本順平)

稲盛財団は2020年6月、新型コロナウイルス感染症の拡大により影響を受けた実演芸術団体および関連企業の活動に対し、「稲盛財団文化芸術支援プログラム」による支援を実施しました。その支援した団体へのインタビュー記事を連載する「文化芸術の灯」。2回目となる今回は、照明を中心に幅広く舞台芸術の演出を手がける「株式会社 流」 (京都市左京区)の代表取締役社長、關秀哉(せき・ひでや)さんにお話を伺いました。

連載「文化芸術の灯」のこれまでの記事
#1 人形劇団クラルテ 鶴巻靖子さん

「ゆく川の流れは、もとの水にあらず」
44年流れる、淀まない“ベンチャー精神”

── 「流」を創業した経緯を教えてください。

關秀哉さん(以下敬称略) 今から44年前のことですが、僕が23歳のころ、京都府立文化芸術会館(京都市上京区)で照明の仕事をフリーとして請けおっていました。その仕事で出会った僕を含めた3人でいろいろ話すうちに、ひとりで働くよりも組織をつくったほうが面白いのではということになり、グループのようなものをつくったのです。今になって思えば、ベンチャーなんですよね。どこかの照明の会社に所属することはまったく考えなかった。自分たちでやろうじゃないかという思いが強かったですね。僕らはもともと照明をやっていたのですが、ほかにも美術などにも興味があったので、いろんなものを取りこんで空間をデザインしたいと思って創業しました。名前は「スペースデザインルーム流」。5年くらいグループで活動した後、1981年に有限会社になり、その後、今の「株式会社 流(RYU)」になりました。

── 「流」という名前にはどんな思いを込めたのでしょうか?

 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」。鴨長明の『方丈記』の書き出しの一節です。このように、ずっと同じところに留まらずに、淀まない会社にしたいなと。頭が硬くなっていろんな分野に挑戦できなくなるのも嫌だなと、照明だけにこだわらず、いろんなことに手を出せるように、社員もいろんな人が来るように、そんな思いで名づけました。最初は3人で始めましたが、90年代の半ばくらいから増えはじめ、2007年に東京に進出してからさらに増え、今では東京と京都とあわせて32人の従業員がいます。

「明日から来ないか?」 直電で面接をオファー

── 個性豊かな方がたくさんいそうですね。

 うちは学歴不問、経験不問なので、いろんな人が来ます。例えば、3年くらい前の話ですが、「三陸国際芸術祭」*1 のテクニカルディレクション業務に参加していたうちのスタッフがこんな人と出会いました。岩手県の大船渡で鉱山の採掘をしていた男性が、ボランティアで手伝いに来ていて、「実は照明の仕事がやりたかったんです」と話していたと。その話を聞いてすぐにその人に電話をしたんです。「どう、明日から来ないか?」って。おそらくびっくりしたでしょうね。でも、僕は真剣だったし、むこうもやる気があったので、次の休みに来てもらって面接をしました。やる気をすごく感じたので、来てほしいなと思いました。

ほかには、現在育休を取っている男性の社員がいるのですが、その人はこれまでに2回、会社を辞めているんですよ。1回目は「南米に旅行に行ってきます」と言って辞めたのですが、半年くらいたって「帰って働かせてください」とメールが送られてきて、じゃあ帰ってこいよという話になりました。さらにその後「奥さんの都合でイギリスに行くことになったので辞めさせてください」となったのですが、また戻ってきたんです。

── 懐が深いですね (笑)。

 大事なのは人だと思っているので。面白い人がいたほうがいいですよね。やる気はあるんです。デザイン力もあるし。そういう意味では得難い人材だなと思っているので、そういう人は逃したくないですよね。

照明機材を操作して舞台をデザインする仕事のようす(撮影:岩本順平)

── 「流」はどんな業務をしているのでしょうか?

 舞台照明業はなんでもやるのですが、それとは別に、テクニカルディレクション業もやっています。照明、音響、映像、舞台と、舞台芸術にかかわる全体の座組みをして動かしていく仕事です。僕の今の仕事はほとんどそれです。先日は東京芸術劇場で、井上道義さん(指揮・総監督)と野田秀樹さん(演出)による歌劇《フィガロの結婚》*2 をやりました。ほかには「国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ(りっかりっか*フェスタ)」*3 など、海外からゲストを招待する国際フェスティバルも手がけています。照明だけでなく、美術や衣装のことも口を出す人間が多いですね。360度俯瞰した目をもって、横断的にものを考えないと面白くないだろうと思います。

僕らに何ができるだろうか 震災からつづく三陸への思い

── これまでに手がけた仕事で、とくに思い出深いものはありますか?

 2つあります。ひとつは、東日本大震災からつづく思いです。2011年3月11日は、今はもうなくなってしまったアサヒ・アートスクエア(東京都墨田区)で、ダンスの全国ツアーの最終日を迎えていました。ゲネプロ(通し稽古)の時間にちょうど津波の映像を見たのですが、すぐに稽古をやめて、ダンサーとともに外に避難しました。その後、2015年から「三陸国際芸術祭」の仕事をさせていただくことになりました。大船渡や石巻、陸前高田などに行き、あぁここまで戻ってきたかと思いつつも、昔とはぜんぜん違う風景を眺めて、僕らに何ができるのかなと考えさせられました。少しでも力になれるようなことがあるかなと、当日の仕事にのぞみました。芸術祭ではダンスや演劇、コンサートなどがあり、一番大きいのは地元の住民が参加する「鹿踊」*4 などの郷土芸能ですね。郷土芸能がどれほど素晴らしいものかは、三陸の現場に行かないとわからないと思いました。映像で見たことはあったのですが、迫力がぜんぜん違いました。

三陸国際芸術祭ダイジェスト(YouTube)

 もうひとつ印象に残っているのは、1990年に仕事で3週間ほどオーストラリアに行ったときのことです。メルボルンのアートフェスティバルに招待されて行ったのですが、照明や音響などの舞台の技術者の社会的地位が高いことにすごく驚かされました。演出家や劇団員なり、アーティストからも、技術者の人と垣根なくフランクに会話をしていました。日本では舞台芸術にかかわるスタッフの認知度が低すぎるなと感じています。認知度が低いと良い人材が来ない。もっと社会に認知されないとだめだなと思っています。また、スタッフ専用のバーやレストランが劇場の中にあり、仕事終わりにみんなでくつろいでいました。僕らも毎晩、そこでオーストラリアの技術者の人たちと交流しました。日本にもこんなのがあったらいいなとすごく思いましたね。ある意味、カルチャーショックを受けました。労働時間もきっちりしていました。

ずっと暗澹たる思いではいられない
照明と関係ないことをやって感覚を養え!

── 新型コロナウイルスの感染拡大では、どんな影響があったのでしょうか?

 4月から8月の終わりくらいまでは、9割くらい、まったく仕事がありませんでした。うちの会社は、苦しいときも何らかは、ずっとボーナスを出し続けてきたのですが、今回はもうそこまでの体力はなく、初めて夏のボーナスを出せませんでした。本当に残念です。今は、政府の雇用調整助成金*5 がでているので、社員の給与は100%守られていますが、助成金がいつまで続くのかもわからない。とりあえずは助かったなというところはありますが……。

9月に入ってからは少しずつ回復し、11月になった今は演劇や芝居、ダンス、企業イベントなど、仕事の数がコロナ前の5割から6割くらいまで戻ってきました。しかし、事業の柱であるライブコンサートが、まだゼロなんです。アリーナツアーがないので厳しいです。今はやればやるだけ赤字になってしまい、収益にならないからやれないのだと思います。

本や音楽、美術などが舞台人の糧になるのでは、と話す關社長

── 自粛期間中はどういう思いで過ごしていましたか?

 暗澹たる思いですね。どうなるんだろうって思いましたね。ただ、ずっと暗澹たる思いでいてもしょうがないから、前を向かないとなと思いました。この暇な期間に何ができるかなって考えて、Zoomのオンライン会議で在宅勤務の社員に、照明と関係のないことをやれと言いました。何か好きなことを勉強しろと。照明の技術だけじゃなく、いろんなことが勉強になるわけで。美術を見たりとか、本を読んだりとか、音楽を聴いたりとか。そういうことが僕ら舞台人にとっては、すごい糧になるんじゃないかなと思いました。せっかく暇なんだから、情緒というか、感覚を養ってほしいなと。

観客の“飢えた顔”に気づかされた芸術の凄み

── 關社長はどのように過ごしていたのでしょうか?

 僕は40年ぶりくらいに休みを取った感じがしたので、いつもならとても忙しい時期に休ませていただいて助かりましたけどね。でも、いろんなことを考えはじめると、次どうするのかという重いものがのしかかり、なかなか難しい日々を過ごしました。自分のことだけでなく、この業界をどうするんだと振り返って考えるようになりましたね。ものすごく。コロナでもうぜんぜんお客さんが戻ってこないんじゃないかとか。舞台業界ってどうなんだろうって。古い業界なんじゃないかとか。もう辞めたほうがいいんじゃないかとか。いろんなことを考えました。でも結論としては、そんなことはないなと思えるようになりました。絶対にいるんだ、不可欠なものなんだと思えるようになりました。

── 文化芸術が不可欠なものだと思えたのはなぜですか?

 やっぱり、お客さんの反応かな。すごい考えたのは。自粛期間中で仕事がないなかでも、たまには仕事があるわけで。そこの現場に行くと、みんな飢えてるんですよね、芸術というものに。すごく顔がいいです。やっと聴けるとか、やっとここへ来れたみたいな。お客さんの顔に助けられたというか。僕らの仕事はいるんだなと思いましたね。別にいらないものじゃないんだ、必要なものなんだと。コロナの前は自分の仕事を振り返ることもなかったのですが、そんなことを振り返れてよかったなとも思いますね。

衣装や美術、喜怒哀楽をひきたてる照明の力

── 關社長はどのように舞台芸術にのめりこんでいったのでしょうか?

 昔からジャズが好きで、高校生のころからジャズコンサートに行っていました。山口県の下関の自宅から、広島や福岡まで聴きにいきました。そして大学生の20歳のころ、“アングラのメッカ”と言われた京都大学の西部講堂に出入りするようになりました。そこで、唐十郎*6 とか麿赤兒*7 とか土方巽*8 とか、アングラの有名人と言われるような人たちと出会いました。僕にも何かやれることはないかなと思っていたところ、「憂歌団」*9 というブルースのバンドのコンサートで、誰もやるやつがいないからお前やれ、と言われて照明を手伝うようになりました。誰も教えてくれる人がいなかったので、自分でいろんなステージを見に行ったり、知ってる人に聞いたりして、少しずつ仕事を覚えていきました。

光の当て方によって舞台の見え方が大きく変わる(撮影:岩本順平)

── 照明の面白いところはどんなところだと思いますか?

 照明ってね、面白いですよ。作品に深くかかわれるんですよね。照明ひとつによって舞台の見え方がまったく変わる。衣装なり美術なりがあって、照明がそれをひきたてて、役者なりアーティストがお客さんに向かって語りかける。デザイナーとお互いに話しあいながら、一緒に良いものをつくっていくんですね。そういう意味で、照明による空間のデザインはいろんな可能性を秘めていると思います。

AI(人工知能)に照明をやらせても、ある程度までできるだろうと思うし、AIのほうが面白いものをつくれるかもしれない。でも、ダンスもコンサートも演劇もそうだけど、喜怒哀楽を表現するんですよね。そうなると、人間の感覚の鋭さというか、最後の情みたいなものが必須になってくる。ここはこうじゃなくてこうなんだというデザイナーの思いが、作品に投影されないとだめじゃないかと思っています。頭のなかでいくら考えてても、現場で実際に光を出してみると違うなと思うこともあります。そういう意味でも面白いです。

歌舞音曲に祈りに笑い 心を癒すのは芸術しかない

── 新型コロナウイルスの影響が大きくなる今、文化芸術が果たす役割はどんなものだと思いますか?

 今こそ舞台芸術が必要じゃないかと思います。『古事記』とか『日本書紀』の時代にはアマテラスオオミカミを歌舞音曲でひっぱりだしたり、平安時代には疫病が蔓延したときに祈りや音曲で呪いを祓ったり。人間は昔からそういうことをやっているわけで。コロナとか疫病とか感染症とかというものは、心がどこかで病んでくるのだと思うのですが、それを包んでくれるのは芸術しかないと思っています。戦争があったときにも、一番歓迎されたのは慰問団だと言いますからね。笑いだとか音だとか歌だとかがすごく喜ばれたと。そういうものが人間には必要なんじゃないかなと、僕は思います。

── 最後に舞台芸術を志す若者にメッセージをお願いします。

 日本の若者で舞台芸術を志す人は、まずはアカデミックなことを勉強してみるのはどうかと思っています。日本のスタッフ業界のいいところもありますが、だめなところもあるわけで。良いところは残しつつ、海外から学ぶこともたくさんあると思います。しかし、日本には私学のいくつかの大学には演劇コースはありますが、演劇大学がありません。最初の基礎のメソッドをアカデミックなところでちゃんと学べるような土台を、日本でつくっていかなくてはいけないと考えています。若い人たちには、経験主義ではないところでやっていってもらいたいです。

「100年つづく劇場をつくろう」を目標に演劇関係者らが協力して開館した「THEATRE E9 KYOTO」

── 京都での新しい劇場の設立にも携わったようですね。

 44年間、舞台芸術の分野で食べさせてもらってきました。ずっとそれで暮らしてきました。もうそろそろ恩返しをしてもいいかなと思っています。何かフィードバックをしなきゃいけないなと。そんな思いで「THEATRE E9 KYOTO」(京都市南区)*10 の設立にもかかわらせてもらいました。このE9で、劇場の技術を学べるワークショップをやりたいと考えています。劇場と一体化して、自分が思うことを舞台芸術の業界にフィードバックしたいなと思っています。

── ありがとうございました。

(インタビューはオンラインにて2020年11月25日に実施しました)

 

*1. 三陸国際芸術祭 三陸沿岸地域に受け継がれる伝統芸能の魅力を世界に伝え、また、海外の多くの芸能と交流しようと、2014年にはじまった国際アートフェスティバル

*2. 《フィガロの結婚》 モーツァルトが作曲したオペラ

*3. 国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ(りっかりっか*フェスタ) 2005年から毎年夏に沖縄で開催されるファミリーのための国際舞台芸術フェスティバル

*4. 鹿踊(ししおどり) 岩手県の無形民俗文化財に指定されている伝統舞踊

*5. 雇用調整助成金 新型コロナウイルス感染症の影響を受けて設けられた、企業が従業員に支払う休業手当の一部を国が負担する制度

*6. 唐十郎 1940年、東京都生まれの劇作家、作家、演出家、俳優。劇団「唐組」を主宰している。70年に『少女仮面』で岸田國士戯曲賞、83年に小説『佐川君からの手紙』で芥川賞を受賞した

*7. 麿赤兒 1943年、奈良県生まれの俳優、舞踏家、演出家。舞踏家の土方巽に師事し、72年に舞踏集団「大駱駝艦」を旗揚げした

*8. 土方巽 1928年、秋田県生まれの舞踏家。59年、三島由紀夫の小説の題名にちなんだ「禁色」を発表した。86年没

*9. 憂歌団 1970年に大阪で結成されたブルース・バンド

*10. THEATRE E9 KYOTO 2019年6月に開館した劇場。2015年から2017年にかけて、京都市の小劇場が相次いで閉館したことに危機感をもった演劇関係者が、「100年つづく劇場をつくろう」を目標にクラウドファンディングで資金を集めてオープンした

 

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