
3S(スリーエス)とは、 稲盛研究助成 を受けた研究者から構成される「盛和スカラーズソサエティ(Seiwa Scholars Society)」の略称です。3Sでのつながりをきっかけにその多様な専門性の交流が深まることで、助成対象者の研究がさらに発展していくことを願い、1997年から活動してきました。連載「3S研究者探訪」では、さまざまな分野で活躍する3Sの研究者へのインタビューをお届けしています。第16回は、筑波大学の志田泰盛(しだ・たいせい)氏=2016年助成対象者=の研究室を訪問してきました。

2000年以上前から、現在のインドやその周辺地域ではさまざまな宗教や哲学が生まれ、アジア全体の文化や思想の源流となってきました。仏教やヒンドゥー思想、論理学や形而上学の議論など、古代インド人の思索は現代にまで影響を与えています。その思想を知るための主要な手掛かりは、古代の言葉で記された写本です。しかし写本には、手書きによって書き写されていく過程で、誤りが入り込み、元の思想を正しく伝えられていないものもあります。筑波大学の志田泰盛氏はこうした写本を丹念に読み比べ、誤りを正しながら古代の思想家たちの考えを復元する研究に取り組んでいます。志田氏の研究室を訪問し、研究方法や古代インド哲学の魅力について、お話を伺いました。
文献という地層の中から思想を掘り出す
──インド哲学やインド古典学が志田先生のご専門ですが、具体的にはどのような研究なのでしょうか。
志田泰盛氏(以下敬称略) 私の研究は大きく分けると文献学と呼ばれるもので、サンスクリット語*1で書かれた昔の文献を分析して、できるだけオリジナルの姿に近いテキストを復元することを目指しています。それによって、古代のインドの思想家たちが考えたことをなるべく正確に読み取り、後世に伝えるために著者が書き記したであろう文字列を可能な限り蓋然的に推定し、再構築したいのです。
印刷機が発明され普及するまでは、文献を複製するためには手で書き写すしかありませんでした。そのように複製され続けてきた写本は、伝言ゲームの要領で少しずつ崩れたり、書き写した人の解釈が入ったりしてしまい、オリジナルと変わってしまうこともあります。それを複数の写本を見比べて、可能な限りノイズを取り除き、複製元を遡ってオリジナルの文言を推定する研究をしています。また、このように復元された文献を現代語に翻訳していくことも行っています。

──哲学の研究というと、たくさんの本を読んで自分の思索を深めていくイメージがありました。
志田 過去のテキストをもとに自分の思想を打ち立てる……というところまではなかなかたどり着きませんね。というのも、まず校訂しなければならない文献が数多くあるからです。あるインド哲学研究者は思想研究を「飛行機で縦横無尽に空を飛ぶような営み」と想像していたものの、実際に取り組んでみると「滑走路を整備するための石拾いのような作業」に近かったと述べていました。結構よい例えで、まさにこの研究の大部分は石拾いのような地道な作業です。ただ、滑走路の整備のような作業もやってみると、なかなか知的な営みで、意外と楽しいです。その他にも、このようなテキスト校訂研究を昔の芸術作品の復元に例える人もいます。当時の色彩や技法などの背景知識がないと作品の復元はできませんが、文献の校訂作業も奥が深いのです。
写本は主にヤシの葉などに記されています。現地の図書館から原本を持ち帰ることはできないので、それを撮影した画像資料を用いて作業を行います。複数の写本をモニター上に並べ、先入観を持たないようにして見比べて相違点がないかを確認します。そうした写本同士の相違点を「異読」と呼んでいます。

異読は見つけ次第記録していきます。また、虫食いなどによって文字が欠損している箇所も同様に記録します。このような作業を1種類の写本について10回以上繰り返し見直すこともあります。というのも、一通り確認を終えた写本でも、それで完了ではありません。別の写本で異読を見つけたときには、見逃していなかったか再確認するために、同じ箇所を照合し直します。そうすると完了したと思っていた写本に、さっきまでは目に留まらなかった異読が新たに見つかったりするからです。

──校訂作業をAIに任せることはできないのでしょうか。
志田 近年のコンピュータの発展を考えれば、それなりの精度で文字を自動的に読み取るところまでは可能だと思います。ただし、その文字がオリジナルの本文からどのように変化してきたのか、どのような写本伝承の過程を経て現在の形になったのかを判断するには、当面は人間の目と経験、そして知恵が欠かせないのではないか、とやや楽観視しています。
例えば、私が2018年にヨーロッパの有名な学術誌に投稿していまだに査読が終わらない……というよりおそらく始まっていない論文があるのですが、その論考で提案したテキストの読みの訂正とその正当化は、まだ当面はAIにはできないのではないかと考えています。というのも、十数本の写本が全会一致し、かつ、後代の注釈書も支持する読みに対して、本来の読みはそれとは違った文言だったのではないかと推測しました。当然、その推測を直接論証することは難しいため、より古い文献における関連する語の用例を精査して、それらをもとに論理的な裏付けを試みました。
なぜオリジナルとは違うと感じたのかを明確に言葉にすることは難しいです。直観に近いのかもしれません。ただ、「これは違うかもしれない」という点に気づいた瞬間は非常に刺激的でした。そこから論証を積み重ねていく過程は苦しい作業なのですが。

1000年続く論争──認識の真偽は証明が必要か、否か
──インド哲学はどういう特徴があるのでしょうか。
志田 インド哲学研究の開拓者の一人、エーリヒ・フラウワルナー博士の著書『インド哲学史』の序文には、インド哲学を支える4つの柱が示されています。第一に、世界には何が存在するのかという「存在論」。第二に、物事をどのように認識し、その正当性をいかに保証するのかという「認識論」。第三に、宇宙がどのように生成され、持続し、終わるのかという「宇宙論」。そして第四に、人間の苦しみがいかにして救済され、解放されるのかという「解脱論」です。
2025年5月に刊行された共著『インド哲学の万華鏡』*2では、私は認識論に関する章を担当しました。認識の正当性と、その確かめ方をめぐる議論の解説です。例えば机を見たときに「机がある」という認識が生じたとして、その認識の真偽はどのように決まり、どうすれば確かめることができるのか、あるいはそもそも確かめる必要はないのかという議論です。この点をめぐって、相対立する二つの学派が実に1000年以上にわたり論争を続けてきました。
少々抽象的に聞こえるかもしれませんが、認識の正当化というテーマは非常に普遍的です。普段のニュースやSNS等で発信されている情報のファクトチェックの方法にも通じますので、現代の私たちの生活とも無関係ではありません。あるいは、昨日寝る前の自分と朝目覚めた自分が同一かという問いや、一瞬前の何かと一瞬後のそれは全く同一かという問いや、そもそも自分と他者とは異なるのかなどの問いは、古典インドでも好んで議論される哲学的テーマですが、そのような全ての哲学的議論も含めて、日常的な認識に至るまで、あらゆる認識の真偽判定に通底する射程の広いメタ的な論題です。
──志田先生は、なぜインド哲学を学ぼうと思われたのでしょうか。
志田 きっかけは、私が学生時代にあまり真面目ではなかったことにあります。もともとは自然科学系の学部に所属していたのですが、部室でゲームばかりしていたせいで成績が振るわず留年の危機にあり、進路振り分けの際に人気のある学科には進めない状況でした。そこで、当時からあまり人気がなく、希望すれば誰でも入れる状況にあったインド哲学を選んだのです。ところがその世界に飛び込んでみると、刺激的な先輩たちがたくさんいて、とても活気があったので、これは面白いなと思いました。
インド哲学・インド古典学は学問分野として長い伝統を持ち、方法論も成熟しています。そのため、学び始めるときには、まずは約200年をかけて洗練されてきた研究の方法論を学ばなければならず、少なくとも私は、自分が何をしているのかすら最初は理解できませんでした。それでも、古典語の習得や石拾いのようなテキスト校訂作業が、基本は苦しいながらも、時々面白いと感じられたことが、現在もなんとか研究を続けられている理由だと思います。
──インドに調査に行くこともあるのですか?
志田 博士課程の2年目のときには、南インドに半年ほど滞在しました。そこで初めて写本が収蔵されている写本図書館を訪れることができました。インドでは日本の図書館のように、申請したらすぐに資料が出てくるわけではありません。予告なしに休みだったり、せっかく開いていても「明日が休みだから今日はダメだ」と言われたり、まだ閉館時刻ではないのに「明日また来い」と言われたりします。時には職員に請求された「コーヒー代」を渡して交渉するなど、現地ならではの流儀を体験しました。そうしたやりとりを重ねながら、写本を閲覧したり、撮影したりしました。また、滞在先の研究所では、欧米を代表する研究者から、コンピュータを用いた写本校訂の手法についても学ぶこともでき、非常に有意義な半年間となりました。

その後も何度かインドを訪れています。ただし、必ずしもインドに行かないと研究ができないというわけではありません。かつては写本へのアクセスが難しい時代もありましたが、現在では研究者同士の交流が盛んになり情報交換ができますし、デジタル技術も発達しています。写本をオンラインで公開してくれている図書館もあります。
生活と研究を往復する日々から生まれるもの
──普段はどのように研究をしているのでしょうか。朝から晩までパソコンの前で校訂作業をしている感じですか?
志田 それができたら幸せなのですが(笑)。実際には、なかなかそうはいかないですね。ポスドク時代のように研究に集中できる環境を確保することが難しくなっているのが悩みです。というのも、近年の業績主義の圧力のもとで、定められたスケジュールやフォーマットの研究成果をコンスタントに要求されるようになってきていますし、教員数や研究関係の予算が年々減る中で、異分野の論文の査読を依頼されることも多く、指導学生のテーマも多様化してきており、自身の研究にじっくり取り組める時間がずいぶんと少なくなった印象を受けます。
もう一つの大きな変化は、子どもが生まれたことです。子どもが生まれたら子ども中心の生活になるということはよく聞く話ではありますが、自分がそうなるとは思っていなかったので、当初は意外でした。保育所や学校への送迎や食事作りなどを家族と分担しながら、生活が自然と子ども中心に回るようになりました。

──インド哲学を学んだり研究したりする魅力は何でしょうか?
志田 過去の哲学者の思想に触れて深く感心したりする瞬間は大きな喜びです。ただ、インド哲学に限らないと思いますが、哲学を学んでいると、普段は当たり前と思っていることを疑うようになったり、誰も気にしないような点を気にする思考回路が自然にできたりしてしまいます。その結果、日常生活は過ごしにくくなっているかもしれません(笑)。
研究の中でひらめきが訪れる瞬間は楽しいのですが、それ以外は地道な作業の連続です。校訂作業にはおそらく終わりがありません。一つのテキストを校訂するには、そのテキストの写本を参照することは当然ながら、数十本もの関連文献も精査しながら進めていきますし、その関連文献自体も研究が進むにつれて校訂されていきますし、新資料が発見されることもあります。そのため、関連文献の研究者たちとお互いに最新の知見をすり合わせながら校訂研究を進めていく必要があります。
それでも続けられているのは、楽しさというよりは使命感に近いのかもしれません。研究できる立場にある以上、自分が託されたテキストはきちんと校訂し、後世に残す責任があると思っています。それが次の世代にバトンを渡すことにつながるのだと考えています。

*1. サンスクリット語は古代インドの言語で、古代から中世にかけて南アジア全域で宗教・哲学・文学・科学の共通語として用いられた
*2. 監修 桂紹隆、編集 片岡啓・護山真也、執筆 岩崎陽一 他(2025)『インド哲学の万華鏡』、春秋社
| いつもそばにあるもの |
老眼鏡 子どもの頃から目が良くていまだに裸眼視力1.5を保っているという志田氏。老眼が始まってしまってもなかなかメガネ生活に慣れないと話します。「最近は老眼鏡がないと何もできなくなりました。定位置はおでこの上ですが、それでも置き忘れたりするので、自分の行動範囲のあちこちにメガネを複数置いています」 |
|---|---|
| この一冊 |
『バガヴァッド・ギーター 神に人の苦悩は理解できるのか?』(赤松明彦 著、岩波書店)2008年刊行 志田氏が師事するインド哲学研究者の赤松明彦氏の著書。「バガヴァッド・ギーターというのはヒンドゥー教の聖典で、その解説本です。単なる解説にとどまらず、西洋において本書がどう受容され読まれてきたかということにも触れており、広い視野と深い博識を感じさせます。いつか自分もこのような本を書けたらと思っています」 |
志田 泰盛(しだ・たいせい)
筑波大学人文社会系准教授。1994年東京大学教養学部理科Ⅰ類入学後、進学選択時に文転し、インド哲学の研究室に入る。1998年同大学文学部思想文化学科卒業後、同大学大学院人文社会系研究科修士課程に進学。2001年修士号、2006年博士(文学)学位取得。2007年日本学術振興会特別研究員、2010年京都大学白眉センター特定助教、2013年ハーバード・イェンチン研究所客員研究員などを経て、2015年から現職。2013年日本印度学仏教学会賞受賞。専門はインド古典学・インド哲学で、サンスクリット文献の批判校訂や翻訳を通じ、知覚論や認識論などを研究している。
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