InaRIS フェロー (2022-2031)

深見 俊輔 Shunsuke Fukami

東北大学 電気通信研究所教授※助成決定当時

2022InaRIS理工系

採択テーマ
人工制御による物質・材料の「知能」の発現とコンピューティングへの展開
キーワード
研究概要
現行の逐次的かつ決定論的なアルゴリズムに基づく人工知能で、高度な情報の認識や判断などを行う場合、膨大な計算量と電力が必要になる。このような問題をもっと効率的に計算できるコンピュータが開発されれば、二酸化炭素排出量の抑制にも繋がる。人工知能の源流となっているアルゴリズムのいくつかは、アナログ性、確率性、双方向性など物質・材料の固有の性質に基づいている。本研究ではこの点に着目し、このような物質・材料の固有の性質を利用し、人工知能の源流にあるアルゴリズムを自然に実行できる新しいコンピュータの開発を目指す。これまでのスピントロニクス研究において、新しいコンピュータへの応用が可能と思われる未利用な物質・材料の性質とその素子化がすでに検討されており、開発に向けた一歩が踏み出されている。

 助成を受けて

他の研究助成プログラムには出せないような妄想に近い研究を提案し、採択して頂きました。ワクワクした気持ちと10年で形になるのかという不安が半々ですが、精いっぱい頑張ります。学際的な要素の多い研究になると思いますので、InaRISの枠組みを通して様々な方とお会いし、研究を発展させていけるのを楽しみにしております。

フェロー紹介動画




情報公開










物質・材料固有の性質を素子、アーキテクチャ、アルゴリズムの全階層で利用したコンピュータの実現を目指し、スピングラスや連結振動子などの物理系をモデルとして研究を進めている。熱ゆらぎにより確率的に動作する超常磁性磁気トンネル接合が接続された系にて確率的アルゴリズムで演算を行うコンピュータや、スピントルクで発振を誘起するスピントルク振動子の連結構造における同期発振を利用して演算を行うコンピュータに関する研究を進めた。単体素子レベル、素子間相互作用に分解して理解を精緻化するとともに、電子回路で相互作用を実装した小規模プロトタイプを構築して量子シミュレーション、AI計算などの原理実証を行った。


領で試行時間の温度依存性を評価した。またこの測定を直径の異なる複数の超常磁性磁気トンネル接合デバイスに対して行い、試行時間のデバイス直径依存性を評価した。その結果、従来の試行時間は1ナノ秒程度の定数であるという理解とは反し、試行時間は温度や直径の増大とともに増大する変数であることが明らかになった。ここから解析モデルの構築、数値計算を行うことで、試行時間は強磁性ナノ構造中でのスピン波の励起と密接に関連していることを示唆する結果が得られ、具体的にはスピン波が励起されやすくなるほど確率的磁化反転が起こりにくくなることが分かった。この知見から、スピン波の励起を抑制することで大規模・高速計算の実現に求められる高速の熱ゆらぎが実現できるという知見が得られた [Appl. Phys. Express (2024); Phys. Rev. B (2024)]。

 続いて、外乱磁場耐性の向上に向けた取り組みについて報告する。磁気トンネル接合は不揮発性磁気メモリの情報記憶素子として既に実用化されているが、超常磁性磁気トンネル接合は磁性層の磁化方向の熱的安定性を弱めた構造であることから、外乱磁場に対して敏感に応答してしまうことが懸念される。これは将来的にコンピュータを意図しない有限な磁場が印加されうるような様々な動作環境で利用した際に動作不良を引き起こす要因となり得る。そこで磁化方向が熱でゆらぐ強磁性層を二層の強磁性層がRKKY相互作用を介して反強磁性的に結合した人工反強磁性構造を導入した人工反強磁性超常磁性磁気トンネル接合を開発した。実験の結果、従来構造と比べて磁化容易軸方向、困難軸方向に対する応答が大幅に改善することが確認された [Phys. Rev. Appl. (2022)]。

 次に超常磁性磁気トンネル接合を電子回路で接続した確率論的コンピュータのプロトタイプの構築とコンピューティングの原理実証に関する研究成果について述べる。研究期間前の段階で、組合せ最適化、機械学習の原理実証に成功していたが、本研究期間にて新たに多体量子問題のシミュレーションと順方向性ニューラルネットワークにおけるベイズ推定の原理実証に成功した。以下その内容を報告する。

はじめに多体量子問題のシミュレーションについて述べる。1次元横磁場イジングモデルの基底状態のシミュレーションを行った。鈴木・トロッター分解を用いて10個の超常磁性磁気トンネル接合を連結することで、0から1までアナログ的に変化する量子状態を表現した。解析的な手法から期待される状態を実機で再現できることが確認できた。この結果は0または1を決定論的とる古典ビットや、大規模化への指針が未だ不透明である量子ビットを用いることなく多体量子問題を扱えることを示したものであり、将来的には創薬などへの応用が期待できる [IEDM (2022)]。

次に順方向性ニューラルネットワークにおけるベイズ推定について述べる。超常磁性磁気トンネル接合が生成する乱数によるノードの更新を適切に制御することでベイズの定理で期待される推定結果が得られることを確認した。これまでの超常磁性磁気トンネル接合を用いたコンピューティングは双方向性のネットワーク構造が用いられていたのに対して、現在人工知能では順方向性のネットワーク構造が用いられている。今回、超常磁性磁気トンネル接合を用いて順方向性の計算を実現できたことから、低消費電力化が喫緊の課題となっているAI技術の今後の発展に貢献できるものと期待される [IEDM (2023)]。




Local bifurcation with spin-transfer torque in superparamagnetic tunnel junctions. T. Funatsu, S. Kanai, J. Ieda, S. Fukami, and H. Ohno. Nat Commun 13, 4079, 2024. doi.org/10.1038/s41467-022-31788-1


External-Field-Robust Stochastic Magnetic Tunnel Junctions Using a Free Layer with Synthetic Antiferromagnetic Coupling. K. Kobayashi, K. Hayakawa, J. Igarashi, W. A. Borders, S. Kanai, H. Ohno and S. Fukami. Phys. Rev. Applied 18, 054085, 2022. doi.org/10.1103/PhysRevApplied.18.054085


CMOS plus stochastic nanomagnets enabling heterogeneous computers for probabilistic inference and learning. N. S. Singh. et al. Nature Communications, 15, 2685, 2024. doi.org/10.1038/s41467-024-46645-6


Double-free-layer stochastic magnetic tunnel junctions with synthetic antiferromagnets. K. Selcuk, S. Kanai, R. Ota, H. Ohno, S. Fukami, and K. Y. Camsari. Phys. Rev. Applied 21, 054002, 2024. doi.org/10.1103/PhysRevApplied.21.054002


Temperature dependence of the properties of stochastic magnetic tunnel junction with perpendicular magnetization. H. Kaneko, R. Ota, K. Kobayashi, S. Kanai, M. Elyasi, G. E. W. Bauer, H. Ohno, and S. Fukami. Appl. Phys. Express 17, 053001, 2024. doi.org/10.35848/1882-0786/ad43b0


Voltage-insensitive stochastic magnetic tunnel junctions with double free layers. R. Ota, K. Kobayashi, K. Hayakawa, S. Kanai, K. Y. Camsari, H. Ohno, and S. Fukami. Appl. Phys. Lett. 125 022406, 2024. doi.org/10.1063/5.0219606






現代の情報社会を支えるコンピューティング技術は、1936年にアラン・チューリングが提唱した概念と、1945年頃にジョン・フォン・ノイマンらが提案したアーキテクチャを基礎に、半導体集積回路技術の発展に支えられて、半世紀にわたって指数関数的に性能を向上させてきた。最近では、人工知能(AI)と総称されるソフトウェア技術の発展により、認識や予測などの高度な処理も可能となり、それらに特化したハードウェアも開発されている。しかし、既存の集積回路技術に依存する現在の手法には限界が見えており、従来のアルゴリズム、アーキテクチャとは根本的に異なる革新的なコンピューティング技術の開発が求められている。



AI の発展において、1980年代になされたジョン・ホップフィールドによる脳の記憶の仕組みとスピングラスの類似性に関する指摘や、ジェフリー・ヒントンらによる統計力学の基本則であるボルツマン分布を利用した学習の提案が重要な役割を果たしている。しかし、これらの計算アルゴリズムを逐次的かつ決定論的な演算を基礎とする現行のコンピュータで実行すると計算量が膨大となってしまうため、現在のAIでは、制限ボルツマンマシンなど、それらの直接の活用は限られている。



今回の深見氏の研究提案は、物質・材料が備える「知能」を、人工構造によって制御することで引き出し、複雑な物理法則に従う物理系をコンピューティングの舞台として構築することにより、上記のホップフィールドやヒントンらのオリジナルの発想をそのまま具現化するという野心的な構想である。深見氏はこれまでに、不揮発性磁気メモリ(MRAM)向け高機能材料・素子などの現行のコンピューティングを発展させる素子技術を探究するとともに、スピントロニクス技術によるデバイスを用いた脳型コンピューティングおよび確率論的コンピューティングの原理実証を実現するなど、本提案の礎となる重要な研究成果を達成してきている。今回の提案は、さらに物質・材料における「知能」の探索を推進するとともに、その「知能」の適用対象を、アルゴリズムやアーキテクチャにも拡張しようとするものである。



深見氏は、スピントロニクス技術に立脚した新規コンピューティング開発を世界的にリードする気鋭の研究者である。InaRISフェローシップの支援により、今後10年間で、同氏が、物質・材料の新たな「知能」を開拓するとともに、それに基づいてコンピューティング技術に革新をもたらすことにより、情報科学など幅広い学術領域との融合を実現し、「物質・材料」研究の新パラダイムの創成に貢献することを期待する。





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